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『仁徳天皇陵』世界遺産登録間近! [最近のニュースから]

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今月、ユネスコ諮問機関のイコノスが、大阪府の百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録するよう勧告したそうです。


そのことから、百舌鳥・古市古墳群がユネスコ世界遺産委員会で審査されることになりました。



いよいよ、世界文化遺産への登録が色濃くなってきた様です。



また一つ、わが国に世界遺産が増えそうです。



ところで、百舌鳥・古市古墳群なんて聞いたことありますか?



その古墳群には、日本最大の前方後円墳の仁徳天皇陵(大山古墳)、それに次ぐ大きさの誉田御廟山古墳などが含まれています。



教科書にも登場する有名な古墳群なんだそうですが、私は仁徳天皇陵しか記憶にありません(^^ゞ



仁徳天皇陵と言えば、次に思い浮かぶのが独特の形『前方後円墳』ですよね。








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日本経済新聞さんの記事よりお借りしました







その形、どっちが前だと思いますか?^^;



私は、円い方が前なんだと小学生の頃から思っていました。



報道や書籍などに使われる前方後円墳の写真は、殆どが円形の部分(後円部)が上で、方形部(前方部)が下になっていましたからね。


そう、昔の鍵穴のような形状です。



しかし『前方後円墳』と書くということは、方形部が前で円形部が後ろというのが正しいのかもしれませんよね!


なぜ「前円後方墳」ではなく「前方後円墳」と名づけられたのでしょう?



私の大好きなJ-CASTニュースさんの記事によると、江戸時代の学者・蒲生君平(1768~1813)の命名によるという説に行きついたそうです。



更に、J-CASTニュースさんが奈良県立橿原考古学研究所主任研究員の東影悠さんに取材をしたそうです。



以下はJ-CASTニュースさんの記事から抜粋しました。



『「被葬者が埋葬されている後円部は、横から見ると前方部より盛り上がって見えます。後円部を牛車の人が乗る部分に見立て、低い前方部を牛が牽く部分に見立てました」という。

蒲生は、自ら記した古墳の研究書「山陵志」の中で初めて前方後円墳という言葉を用いた。

空撮写真が簡単に撮れる現代と違い、江戸時代には地上から古墳を見上げるしかなく、被葬者が埋葬される後円部をいわば本体とし、古墳全体を車に見立てたのが蒲生の考えだった。

そこで方形部が車の前、円形部が後部となって、前方後円墳と呼んだ。

以後200年にわたってこの呼称が定着しているが、現代の考古学界では前方後円墳の前後について特に定義はないと東影さんは続ける。「前円後方墳」というわけでもないようだ。

「学界では一部の研究者から違う名称にしてはという意見が出たこともありましたが、前方後円墳のインパクトが強烈で、他の名称が定着するには至っていません」(東影さん)

ちなみに前方後円墳の英訳は「Keyhole-shaped tomb」で、上から見ると鍵穴のように見えることが語源である。』ということです。



私も今のまま「前方後円墳」で良いと思います^^








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