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人権侵害がもたらした悲劇を後世へ!

今日の話題は、ハンセン病を取り上げてみました。










ハンセン病って、耳にしたことはあるけれどよく分からない、そんな方が沢山いらっしゃると思います。










お若い方は、聞いたこともないかもしれませんね。










実は、私もブログ記事を書くようになってから、資料を読んでそうだったんだ〜、そんな悲しい歴史があったのか、これは負の歴史として知っておくべきだなって思ったんです。










日本財団さんホームページを拝見したところ、このようにハンセン病を説明していました。











ハンセン病とは、人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つということです。










ハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症なのですが、現代では治療法が確立され完治する病気になっています。










しかし、感染経路は、はっきりとはわかっていないそうです。










治療を受けていない患者との頻繁な接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するものと考えられていますが、ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があるそうです。










そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われているそうです。










ハンセン病の患者は、その外見と感染に対する恐れから、何世紀もの間差別をうけてきました。










古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文献には、ハンセン病について、有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたことが読み取れるということです。









わが国でも「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されています。









日本のハンセン病患者は、古くから家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいたそうです。









自身への差別が家族へも及ばないように家を出たのですね。










想像しただけでも悲しくなりますね。









そして、明治時代に入ると「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになりました。









その法律によって、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。









第二次大戦後も強制隔離政策を継続する31年に「旧らい予防法」が制定され、人権侵害の歴史は続きます。









ハンセン病は感染しても発病するのはまれで、戦後間もなく治療薬も開発されました。










「完治する病気」にもかかわらず、らい予防法は1996年まで廃止されることはありませんでした。









「らい予防法」は96年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められています。









しかし、長年に渡り、ハンセン病に罹患した人びとは遠く離れた島や、隔離された施設へ収容され、自由を奪われ「leper」という差別的な呼ばれ方で、社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされてきたのです。









人としての自由を完全に奪われてきました。










いまだに、無知からくる偏見により回復者やその家族までもが、苦しんでいるのです。










そして、あらゆる時代、あらゆる場所で、国、地域社会、学校、企業、病院、あるいは宗教団体も含めた組織がハンセン病患者とその家族に対して行ってきたことは、まさに重大な人権侵害であり、彼らの尊厳を傷つけてきました。生涯にわたる強制隔離、社会サービスの制限、労働市場における差別は、ハンセン病患者に対する人権侵害のほんの一部にすぎません。教育、結婚、あるいは住む場所を見つけることにすら、かれらの前には壁が立ちはだかっています。










如何でしょうか、ハンセン病という感染病の恐ろしさから始まった隔離政策、ハンセン病患者やその家族への人権侵害、すべて彼らと同じ人間が行ってきたことなんですよね。










現在は、ハンセン病になったとしても1996年に「らい予防法」が廃止されハンセン病の治療に保険が使えるようになったそうです。










大学病院や一般病院皮膚科で通院して治療ができるようになっています。










現在、世界中で新規患者数は年間約22万人だそうで、日本人は年間0~数人です。










日本人の新規患者は、70歳前後の高齢者がほとんどだそうで、ほかに治ったあとに再発する人が年間3~5名人出ることから、日本人のハンセン病患者数は10人前後とうことです。









2015年現在、日本国内にある国立ハンセン病療養所は全部で13カ所だそうですが、その中の一つに岡山県瀬戸内市邑久町の「国立療養所 邑久光明園」があります。










そして、邑久光明園がある瀬戸内市沖の長島には本土との間に橋があります。










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フリー画像からお借りしました










その橋は、1988年5月に開通し「人間回復の橋」と呼ばれているそうです。










橋が完成するまでは長島は孤島でした。










対岸まで約30メートル、海はハンセン病元患者が強いられた隔離の象徴といえるでしょう。










そして、社会とハンセン病患者との間にあった「差別の壁」だったんですね。










現在は、「人間回復の橋(邑久長島大橋)」が開通したことで、岡山県側への自由な行き来も可能となっています。









今月9日、「人間回復の橋(邑久長島大橋)」開通30年の節目を迎えています。











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朝日新聞デジタルさんの記事よりお借りしました










同園内では納涼夏祭りが開催され、地元の人たちにとって地域最大の夏のイベントとして親しまれているということです。









世の中には、様々な形での人権侵害があります。










私たちひとりひとりが考えるべき問題で、その人権侵害に気が付かない人間に過ちを繰り返させないためにも!










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